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2008/11/06 (Thu) 死について考えてみた

死という彼と‥


青春と呼ばれる 輝く季節にいた頃
彼は 悲しさと美しさで装飾され
雪の中で彼に抱かれる 切なさを願った
彼はまだ 現実よりはるか遠くにいて
私もまた 夢の中にいた

幼き子を抱いた頃 彼は恐怖そのものだった
この子を彼に 渡してはならぬ
この子を残して 彼に抱かれる訳にはいかぬ
少しの気配からも身を守り 必死に彼と戦った


巣立ちの季節が過ぎ 気付けば彼をふと感じる
影の中から 老いが手招きしている
何時の間にか影が伸び 私は薄暗さの中にいる
色濃くなった影からは いずれは病も届くだろう

親しい人も 彼に連れていかれた
多くの出会いの中で 幾人かは逝ってしまった
感じる悲しみは 想いの強さだ
映像の中のあの人も 今はすでにいない
感じる寂しさは 過ごした時への執着か

思えば 彼もずいぶん優しくなった
彼の中に 近しい人達のぬくもりも見える
怖く無いと言えば もちろん嘘だ
存在が消える不安と 肉体の苦しみ
だが いずれはひとつになる必然だから
その時が来たら そっと身を委ねよう

私と出会ってしまった貴方へ
私の生きた証を どうぞ貴方は受け止めて
出会いの記念に 私の言葉を

貴方の生きた証は もちろん私が受け止める
貴方の言葉を 噛み締めて 
私の生きているかぎり 出会いへの感謝を込めて



ご存知の方も多いと思いますが、ブログ交流のあった方が亡くなりました。

実はここ数年、「死」が身近になってきた事を感じていました。
多分「死」というものが、幼い頃より何度となく考えるテーマであったのは、私だけでは無いと思います。
で、そろそろ「死」を主題にした、センチメンタルでは無い「詩」が出来無いものか?と、試作していた下書きがありました。私のこれから行く方向を決めるようなもの‥これが、難しい。
私には、まだその力量は無いものと思われます。
出来の良いものでは無いのですが、今のところの記録として、残したくなりました。

「パパになれないおとうさん」の早すぎる死も、発表のきっかけになりました。
様々な出会いの方々へ、メッセージを伝えたくって‥
未熟な点はお許し下さい。まだまだ若造です(ワカヅクリと読まないでね‥笑)


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No title 

こんばんは、マダム。永山拓美です。
私は、ハンググライダーにて幾人かの仲間を亡くしました。
その中の二人は、私の腕のなかでなくなりました。
そのとき、私が感じたものは、悲しみでなく「悔しさ」でした。
もう動く事のない仲間の肉体を見て、何度も「おい、おい」って
声を張り上げ、呼びかけました。
私は、泣きませんでした。ただ「悔しい」思いだけが募ったことを覚えています。

                 「死とは?」

私は、30代半ばの頃に、ひとり住まいの部屋の中で、ふと思った事がありました。
目の前に差し出した両手の指を、何気に動かしてみたのです。
特別に意識して動かした訳ではなかった。
すると、「何これ」って。自分の身体をロボット、さらにはクルマといった乗り物と同じように思えてきたのです。
クルマは、車体があって、内部に指令を伝えるシステムがある。
アニメの「マジンガーZ」はロボットで、頭部にあらゆるシステムを搭載している。
どちらにも共通して言える事は、人がコントロールしないと、運転、操縦しないと動かない乗り物だって言う事である。
って事は?・・・この身体をマシン、あるいは乗り物だと思えば、私の身体を動かしているのは誰?指令・意識をしているのは、「脳」ではない。「脳」に指令を出しているものがいるから、「脳」が身体の各所に神経を通して、伝達しているだけである。
「脳」の後ろで指令をだしているのは、私の「本体」=「魂」=「霊体」ってことかいな。
なぜ、こんな事を突然考えたのかは、未だに不思議である。でもね、子供の頃から、世の中の人たちが、人は亡くなると「霊」とか「魂」になるって、言ったけど・・・?なんか違うぞ。
もともと、肉体に霊体が乗っかっていたから、人は動いていた。
肉体が壊れて動かなくなったら、霊体・魂は残されるだけ。
霊体・魂は、肉体が機能してもしなくても、存在しないと、つじつまが合わなくなるではないか。葬式で供養するって?肉体が動かなくなったら、燃やしてしまって、霊・魂だけにしてしまうだけ。
霊・魂が残るって事は、生きているときから「あった」ってこと?
に、・・・なるな。だったら、生きているときでも、供養出来るってこと?
何だか変な話である。だとしたら、なんだかんだ言いながら、葬式をするのは、お寺の坊さんたちが金儲けのためにやっているってこと?
葬儀屋は、それの片棒を担いで商売をしてるってこと?
「脳死状態」は、ドライバーがエンジンを掛けたまんま、クルマから降りて、何処かへ行った状態ってこと?
こうなると、「人の死」って動かなくなったクルマとなんら変わらないってことになるよね。
でも、霊・魂は関係なく存在してして、「生きている」って事になるよね。
だって、クルマは壊れても、ドライバーは「生きている」のだし、また、新しいクルマを買ってドライブしているもの。
火葬をするのは、壊れたクルマが錆びて朽ち果てて汚く成り果てる姿を、見たくないから、早いとこスクラップにして、溶鉱炉で溶かしているのと、なんら変わらん気がする。
身体は、赤ん坊から子供へ、そして大人へと成長してやがて老いる。
しかし、霊は魂は、ずっと変わらないのでは、なかろうか?
だから、70歳を過ぎた爺さんらの「まだまだ17、8の頃と気持ちが変わらんよ」のセリフを聞くのではないだろうか・・・ってね。

赤ん坊が、話始めるのは、言葉を覚えたからでなく、肉体の成長によって、ようやく言葉を話せる機能が、働くようになっただけだったりして。
だから、赤ん坊に話しかけると、彼らはそれなりに反応しているもの。
始めから言葉を理解しているとしか思えない。
私が、街中でジッと赤ん坊の目を見て、その後で「じゃあ、またね」って声を掛け、手を振るとほとんどの場合、照れくさそうに「バイバイ」を返したり、長いこと視線を私から離さない。
それに気づいたお母さんは、私に笑顔でペコリと会釈をして立ち去るのだ。けっこう良くあることだ。
マダム、この見方をどう思います?
ちなみに、私はごくごく普通に思っただけなのである。・・・・・・私なりにね。
私は、どこの宗教にも、はいっとりゃせんのだが。
バチアタリかのぅ?こんなこと思ったら。
こんなこと言ったら、「お前、バカか」って言われちゃいそうでもあるな。

ただ言える事は、「いのち」が、いかに「ありがたいかって」ことだな。
いつもの私らしくない硬い話でした。じゃあ、またね。である。

2008/11/06 03:53 | 永山拓美 [ 編集 ]


No title 

永山さんのコメントも読ませていただきました。
私自身、赤ん坊の頃の記憶があるので、私は『魂』を信じますよ。全然、変じゃありません。
ベビーベッドの中で、『あれ?変だな、言葉が思うように喋れない』と思ったことを憶えてますw

おとうさんは立派でしたね。
最後まで戦い抜いたんですもの。
家族に弱音も吐かずに独りで戦った彼は立派でした。
それが彼に出来る最後の家族への思いやりですね。
命が消えるその瞬間まで家族の事を考えていたおとうさんは、本当の意味での『男』であり『父親』だったと思います。
太古の昔から男性は『戦う』、『守る』をやってきましたけど、最後までそれをやり通したおとうさんはあっぱれでした。
美しい命の終わりを見せてもらいました。

昨日はおとうさんが残してくれたコメントを拾って読んでみましたよ。
懐かしいですねぇ…

2008/11/06 08:32 | ウダム [ 編集 ]


No title 

「パパになれないおとうさん」,のページへ行って、数ページを読ませていただきました。ご冥福をお祈りいたします。
(余談ですが、奥様は手帳を見てブログをやっていると分かったと。手帳か、弁護士さんからの手紙に、パスワードが書かれていたのでしょうか?私も一瞬考えてしまいました)

10代の後半から「死」については想い、さらに仕事上、現実の「死」に多く向き合い、その「死」の模様でも様々な方法での自死・病死・事故死、胎児や出産後まもなくの死、等々あり、また取り巻く関係者の思いも、聞かなくてもいい言葉、聞いてひっそりと涙する言葉などともめぐりあって・・・それら全てが、「生きるために」「生きていること」にエフの場合は方向付けられてきました。
より良く生きるというのとは少し違うのですが、自身の中身を出して生き切るという方向へ。
エフ自身、5歳の時に台風で増水した川に落ちて溺れ、流れにのみこまれたとき、死を感じたあの瞬間は未だに忘れられません(その瞬間から自宅までのことは一切記憶に無いエフです。どうやら、火事場の馬鹿力のような状態で、自力で岸を這い上がり、家まで歩いたようですが、目撃者もいず、不明)。
そんな意味もあって、死とは常に背中合わせだと感じています。
あとは、どう生き切るか。
で、投稿文書いているのですが。筆力ってなかなか(泣)
マダムさんのページは力があり、頑張るぞ!と思えます。
きょうも、これからまたファイトしますね。

2008/11/06 09:14 | エフ [ 編集 ]


No title 

私もパパになれないお父さんの件は驚きで言葉を失いました。
最近亡くなる有名人も、知っている人が多くなってきて、なんだか順番が近づいてきたような・・・生老病死の真実味を感じる毎日です。
私も実は、一度棺桶に入りかかった身。
拾った命なので、己の人生目標でもある「日日是好日」を実践できるよう、1日1日を大切に生きなければ・・・と痛感しております。

2008/11/06 12:02 | とんがりねずみ [ 編集 ]


No title 

考えさせられました…身近な人が突然いなくなるというのは…
辛いことだと思います。
上手な言葉が出てきませんが…
「パパになれないおとうさん」のブログの温かい言葉を読まさせて頂きました。
本当に良いお父さんであり夫であり男の人ですね。
交流は無かったのですが、心よりご冥福をお祈りいたします。

2008/11/06 16:52 | リカ [ 編集 ]


そうだね 

簡単に、「長生きしたくない」などど、言ってしまう自分がいて、でもそれは振り向かない「死」がまだ先で姿がみえないから安易に思ってしまう。
自分をバッシングしているわりに体調の酷く悪いときにはドキリとしたり、生きているって生きているからこそいい加減だったりする。
もう、近しいところで友人や大切な人をとられて、その度に死を考えるけれど自分のそれとは違う。
自分のときはどうなんだろう、と思う。
生まれたということは死に向かって歩むことだけど、自分が居なくなるのは怖い。
いつかは来るのになかなか受け入れがたい。

それでも生きてきた中に、誰かがいて自分と思いを共有できる人がいて深い縁で繋がれて、笑ったり、泣いたりは記憶ではない何かだったりすると思うの。

2008/11/06 16:53 | ノラ [ 編集 ]


No title 

こんにちは!ご心配おかけしましたが、風邪は大したことありませんでした(´ x `;*)
私も、「パパになれないおとうさん」の事がショックで、いろいろ考えました。もし、私なら…ハニーなら…と
そんなこと考えてたら、離れたところにあったウェットティッシュがボトッと落ちて、ちょっとビックリしました。
私は、家族を残してというのが、一番辛いなぁ

2008/11/06 17:39 | みかてぃ [ 編集 ]


こんばんは 

こんばんは
今日は90才を過ぎてもまだお元気で、
先日勲章を頂いた方の御祝いに行ってきました。
こんな方がいる一方で、若くして亡くなる方もいるのかと思うと皮肉です。
ぱぱになれないお父さんもどんなに無念であったかと思います。
先月は次女の友人の御父様が急逝されて、こちらもショックでした。
くまさんみたいな人だったのに!
人の命は儚いとは思うけど、残されるのは寂しいですね。

マダムさんの詩、エリザベートを思い出します。
まさかヅカファンではないですよね。

2008/11/06 22:35 | 琳子 [ 編集 ]


コメントをありがとうございます。 

永山拓美様
友を腕の中で亡くす‥そうですね、悔しいでしょうね。
ああ‥私はまだ悔しいとは感じた事がありませんでした。
男性の感じ方を又、教えて頂きました。

>マダム、この見方をどう思います?
ふっふっふ‥私にそんな話をふったら‥後悔するかもよ~
長くて!
私は拓美さんの考え方を否定しません。遠い昔から輪廻転生というものもあったしね‥でも、魂については少し考え方が違うかな。
もし、じっくり読む準備が出来たら、私のカテゴリーの中の「なぜ人を殺してはいけないのか?」を読んで下さい。そして、私が子供に話すのを止めた結論を拾ってね!

さて、始めちゃうよ~
さて、人は良く自分の存在価値を確認したがりますね?
私自身は「命を繋ぐ一個体」に過ぎない、と思っています。それが生まれた事の単純な存在価値でしょう。
だったら、「産む性」でなければ存在価値が無いのか?と問われそうですが、人間の場合、社会が人を育てなければならない為「育む」価値があります。「命を繋ぐ」という事では、卑下する必要は無いでしょう。
文化的には「表現」や「想像」に価値を見出す方もいますね。そこは動物では無いので、「自分の存在価値」は勝手に探して戴きましょう(笑)
私は、実は魂というものの価値を、さほど大きく考えていません。
私の考える「魂」とは、思念であります。
「執着」「固執」「想い」そのどれもの強い思念=念と呼ばれるものが、魂であったり霊であったりするのではないか?と考えています。
魂、霊は入れ物の無いエネルギーの様な物、不安定でいづれ霧散していくもの。それは消えるのでは無く、新たな生命の誕生時、取り込まれ易いもの(エネルギー不変の法則?)‥よって、強い思念が残っていた場合、輪廻転生や前世の記憶等という物になるのでは?
でも、あくまで一個づつが霧散したエネルギーから集まった新たな生で、以前の「魂」そのものの再現では無いと思っています。
思念であれば、脳で生成されるものかも知れません。本能は腹部にあると云われていますが、思考は脳ですよね?
様々な宗教があり、どこでも「魂」というものを大事にします。
それは、そういう導き方をする事が、生きていく指針にしやすいのだと思います。そして皆が「自分の生」が意味のあるものと思いたい。
養老孟司さんは現代は脳を重視しすぎると言っていたような気がしますが、そうかもしれません。
生というものは、もっと純粋で単純で良いのかも?
私の死んだ後は、魂が霧散しても構いません(笑)あまり強い「念」を残したく無いので‥本当は「世界平和」とかの、「素敵な執念」を残したいのですが、多分無理そう(笑)こればっかりは意図して出来無いと思いますので。だからこそ「負の思念」が残らないよう、自分なりに昇華していきたいと思っています。
「死後」を考えるより「生の日々」をシンプルに過ごせば良い。
それが、私の考え方です。
あら、あんまりまとまっていませんが‥これで答えになってるかしら?で、ある。

ウダム様
「死」を思うとき「生」を考えなければならないですね。
おとうさんが生きていた事を、私は知っている。
そして言葉を受け取った。

実像も分からないネットでのつながりですが、それが私の「生」の受け取り方です。
私はもちろん「ウダムさんの生」も受け取っています。
大きい「生」です!^^

エフ様
>マダムさんのページは力があり、頑張るぞ!と思えます。
うわぁ~、チョ~嬉しい♪
かつて、ムッシューは「お前、心臓に毛が生えてるんだろ?」と、云ってましたっけ~(爆)
エフさんも心臓に毛が生えないよう、気をつけて下さい。胸毛まではセーフです!www

実はこのブログ、私にとっては「遺書」のような物かも知れない。
宗教や信仰には全く興味は無いのですが、「私」が生きていた事を「私」の感じた事を「生の証」としたいのだと思います。
おとうさんもそうだったのかもしれません。

私自身は息子達に残す事も大きな目的‥息子達はまだ若く、私がいつまでも生きていると思っていますよ(笑)「いつまでもあると思うな親と金」^^
お金は残せないから、親を残してあげます。
私が死んだら、息子がブログを見てくれると思います。(パスワードは書き残してありますよ)
あまり、生きてる間は見せたく無いのが、本音。恥ずかしいもん(爆)

エフさんの「生」や「死」に対する想い。「生きる」をテーマにした表現、楽しみにしています♪
今回の私の詩は、いづれ加筆して、満足のいく物にする予定(笑)

2008/11/06 23:29 | マダム半世紀 [ 編集 ]


私はその方を知らないので 

何もいえませんが、マダムさんの詩を読むと心の動きがわかります。
確かにいつかは受け入れなければなりません。
でも私は出来るだけ早くその腕の中に迎え入れて欲しいと願っています。

満一歳で亡くした子の誕生日がこの月です。
その子が待っていてくれると思うのです。
何もしてあげられなかった事、守ってあげなければいけないのに
それが出来なかった事を謝りたいのです。
私を選んできてくれたのに出来なかった事を一日も早く実現したいと願っています。

私は残された人に言います。
帰ってこないという事はそれだけ素晴らしいところなんだと。
嫌なところだったらきっと帰ってくるからと。

自ら行くわけにもいきませんのでその日を待つだけです。
もっと生きたいと願うことなく、いい人生だったと終わりたいと
願っています。生に執着はしません。
ただ、しっかりとその日を受け止めたいと思います。

袖触れ合うも他生の縁といいます。
こうやって知り合えた事に感謝です。
そして亡くなられた方へ心より合掌。

2008/11/06 23:52 | シェイド [ 編集 ]


コメントをありがとうございます。 

とんがりねずみ様
そうですか‥一度「死が身近」になると、「死」について考える事も多いでしょうね。
以前の記事(ずっと前で忘れた)で「男性は格好良く生きる事を考えて、女性は美しく死ぬ事を考える」と書いたけど、それは若い頃想う事。年齢を重ねると、死が美しくない事が分かりますね(笑)でも、受け入れなければいけない‥
私はこの頃、無理矢理の意識改革で、歳を重ねる事にも、自信を持つようになりましたよ!
今までの価値観「女は美しくなければいけない」という、女の呪縛からも逃れられました。もちろん、自分の楽しみとしてお洒落(?)は楽しみますが、「老いを嫌う」という事は無くなったかな。
「ボケ」もOK!生きていた事のご褒美に、謹んでお受けいたします(笑)周りは大変と思うけど、こればっかりは本人の知ったこっちゃありません。意識のはっきりしている間に、出来るだけのお金の準備と、周囲の人たちへの感謝、そして今後迷惑をかけた場合の謝罪をすませば、後は野となれ、山となれ‥(爆)

生も死も、自分の思い通りにはなりません。だから‥「日日是好日」とっても良い事だと思いますよ~^^
‥という、私が毎日楽しめてるかは疑問ですが、自由な時間が増えた分、それでも感謝!

リカ様
リカ様にとって、まだ「死」は戦うものですね。
おとうさんにとっても、もちろん。
拓美さんのいうとおり「悔しい」でしょうね。

ブログ同士でつながっている私達にせめて出来るのは、「おとうさん」の「生きていた言葉」を受け取る事だと、私は思いました。もちろん違った考え方があっても良いと思います。

リカさんとの出会い‥大切にしたいと思います。^^

ノラ様
ノラちゃんのコメントは、そのまんま私の気持ちです♪
私の詩も、きっとそのまま受け取って貰ってると思ってま~す!
だ・か・ら‥何も云う事が無い‥
ホント、そのまんま(爆


2008/11/07 00:14 | マダム半世紀 [ 編集 ]


コメントをありがとうございます。 

みかてぃ様
大事がなくて、なによりでした^^

うん、みかてぃさんは、私の詩の中では「彼と戦う頃」ですね。
「死」がメチャクチャ怖いでしょう?多分、それが守るという事なんだと思う。
おとうさんもその点では、本当に悔しかったと思います。
もちろん、残されたご家族もね‥

だからこそ、おとうさんが「生きていた」という事を、受け止めたいと思ったんだ^^

みかてぃさん、「守る戦い」にファイトだ!
ブログの中からだけど、応援してるよ!

琳子様
「エリザベート」って誰かな?
ヅカは嫌いでは無いですが、高校生の時代TVで「ベルバラ」を見た事しかありません。あのお化粧が私にとってはイマイチ。でも、舞台で見ると違うかもね‥
ベルバラに出てくる?

そう、人生って思い通りに成らない。
頭も身体も元気で長生きが出来れば良いのでしょうが、そこは上手くいかなかったりする。頭がしっかりしている内に亡くなれば、まだ早いと思えるし、ボケたら死んで良いのか?と問われれば、違うと思うしね。

時々は「死」を考えて、改めて「生」を意識しなければならないと思ってます^^

琳子さんとの出会い、感謝してるよ♪

シェイド様
大変悲しい想いをしましたね‥小さい子供を亡くす‥親として、そんなにツライ事はありません。

でも多分、何度も何度も抱きしめていらっしゃるのでは?
そして何度も謝ってらっしゃる。
目を閉じて、心で感じて抱きしめていらっしゃる。ごめんねといいながら‥そんな気がします。
お子様も充分愛情を受け取って満足している。私はそう感じました。
だから、お子様は待っていてくれないかもしれません。^^
満足した魂は、死後の世界に留まらない‥今のところ定説ですから。ゴメンナサイ‥ちょっと偉そうでした^^;
私も一度流産をしていますが、その子は次男として生まれ変わっている‥と勝手に思っています。だから、特に供養もしていません。
シェイドさんの場合と、もちろん違うと思いますが、どんなに守ろうとしても、守りきれない物もあります。
「反省」はしても、「後悔」はなるべくしたくない。後悔は愛情に変えて良いのだと思います。

>もっと生きたいと願うことなく、いい人生だったと終わりたいと
願っています。生に執着はしません。

私も同感です。ただ、いざとなった場合、どうなるのかは不明。たとえばこのポンコツの脳みそがボケる事もおおいにあり得る(爆)
シェイドさんの死に対しての想いは、私と同様、巣立ちの後だからでしょうね‥
私の存在価値の動物的な部分は終了していますから、後は自分の楽しみに「生きる」事を使いたいと思うのですが‥生活があるからままならず(汗)
でも、せっかく生きているのだから「欲」をだして、楽しみたいと思っています。どうも、あまり「欲」を押さえてると、「生きるエネルギー」が減少するような気がする(笑)

私もシェイドさんとの出会いを感謝しています!
シェイドさんとは、結論が似ているのですが、そこまでは多分違う道を通ってきている‥そんな楽しさがあります♪


2008/11/07 01:36 | マダム半世紀 [ 編集 ]


No title 

 清らかで、少女のような心象風景が描かれていますね。
私は、死を考えたくありません。臆病なのです。
ですから、この様な詩はとても書けません。
心揺さぶる言葉を紡ぐマダムが羨ましい。

2008/11/07 07:06 | 森に暮らすひまじん [ 編集 ]


こんばんは 

エリザベートはオーストリアの皇帝妃で、とても綺麗な人です。

ミュージカルを宝塚でやったようですが、私は見てません。
本は読みました。エリザベートと恋に落ちる黄泉の帝王が出てきます。
宝塚は私も高校の時ベルバラは見たけど、それっきり、私もあんまり好きじゃないか。
話そらしちゃってごめんなさいね。

深く考えないで飛び込んだブログの世界だけど、
人の繋がりって、文章だけの世界でも深くなるものですね。
パパになれないお父さんのところには、たくさんの方の暖かいコメントがあって、
まだまだ人って捨てたモンじゃないと思いましたよ。
残された奥様や子供さんが、少しでも悲しみを紛らわせて下さるようにと祈ってます。
三女にちょこっと話したら、感動していました。

私もマダムさんと出会って本当に良かった!
また今度行きますので、よろしく。








2008/11/07 21:55 | 琳子 [ 編集 ]


コメントをありがとうございます。 

森に暮らすひまじん 様
お褒めの言葉をありがとうございます。
>私は、死を考えたくありません。
森に暮らすひまじん さんは、正直だと思います。私も怖いのです!
でも、私はど~も、捻くれているみたいです(笑)
前に「怖い話」でも書いたのですが、怖い思いをすると目を開けない人の方が多かったので、ビックリ☆
私は怖いと、確かめたくなるタイプのようです(笑)
怖いと本当に怖い物なのか、目を開けて確かめたくなる‥悪い癖です。
ただ、それだけの違いです。

でも、この詩は未完成ですね‥もう一度、言葉を紡ぎ直します。
言葉が私の心に、イマイチ響かない(涙)
まだまだ未熟なせいですね、きっと(笑)
羨ましいと言って頂くのが、心苦しいです。

琳子様
いつも思うのですが、なぜ頭の良い人は歴史に強いのでしょう?
人の名前を覚えられない‥大きな欠点のある私には羨ましいです。
私はこのブログで、色々な方の考え方を知り、生活の一端を見せて頂きました。その魅力に深くハマり込まないよう、必死です(笑)
寝不足は実生活に影響するので‥
でも、皆様魅力的で困っています(爆)

又、お会いできるのを楽しみにしていますわ♪
是非、ウチにお泊り下さいませ!
東京ドームもそれ程遠くないですから(笑)

2008/11/08 02:38 | マダム半世紀 [ 編集 ]


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